原田美穂のモンゴル日記2
 
 

 4月24目(土曜日)

午後2時にモンゴル航空OM904便が関西空港を定刻に離陸した。99年の直行便第1号である。約4時間飛行して「あと15分で着陸体制」のアナウンスはあったものの、いつまでたっても高度が下がらない。しばらくたって「ウランバートル上空は吹雪のため北京に向かう」とのこと。前日に現地大使館の知り合いから気温20度とのメールがきていたので、冬物をスーツケースから全部出してしまったことを後悔した。内陸の寒暖差を甘くみていた。

うとうとしていると今度は天津に降りるというアナウンス。

スチュワーデスにきくと、北京も悪天候らしい。その後は何の情報もなく飛び続けるので私はすっかり眠ってしまったが、同行した斎藤先生は燃料がもつのか心配でたまらなかったらしい。

天津は空港設備が整ってなかったようで、午後8時20分になって北京へ戻りやっと着陸。

 

 モンゴル国立大学

 

 約2時間の機内待機の間、駐モンゴル大使の久保田氏と話す。この程度ならまだいい方でイルクーツクに行けば、窓のない部屋で待たされるのだとか。

モンゴル航空はファーストクラスもビジネスクラスも同じで、私の席は1A。コックピットのドアが開けっ放しなので、パイロット連の様子が見える。別にあせっているわけでもないようだ。天候回復を待ったあと午後10時20分に離陸、ようやくウランバートルに到着したのは夜中の12時をまわっていた。出迎えのJICAのスタッフと外に出ると、一面の銀世界。

そのまま宿泊先のウランバートルホテルへ直行。日司連の川道常任理事から餞別にいただいたキャンプセットの中からお湯だけでできる五目釜飯を食べて寝る。

 

 ゲセル寺院の
 少年ラマ僧

 
 
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